かあちゃんは「なだめる」を意識してやってこなかった件

突然なんですがみなさん、「なだめる」って自分に対してやったことあります?

というか自分も「なだめる」対象なんやって知ってました?(え、これみんな本当にやってる?)

日々子育てする中で私自身も成長しないといけないとは思いつつ、最近は気持ちのやり場のなさに苦しさや疲れも感じていました。子供に寄り添いたいのに思うようにいかず気持ちが乱れてしまってばかりでした。少しでも知識を得たくて手に取った本の中で「自分をなだめる」という考え方を知りました。

友達や子供の気持ちをなだめるためにひたすら話を聞いたり、気持ちが落ち着くまでそばで過ごしたりといったことなら何度もやってきました。でも「自分自身をなだめる」は考えたこともなくて、かあちゃん的にはかなり衝撃でした。

今までどうやって悩みやモヤモヤを対処してたのか

かあちゃん的にはモヤモヤの対処って大体3方向あると思ってたんですよね。

①解決策を見つけて解決する ②忘れる ③見方を変える(リフレーミング、みたいな)

子供の頃から①を目指して何か力づくでも解決しようとして、結局②で忘れていってほとぼり冷めるみたいな人でした。

30歳超えてからは人は変えられないけど自分は変われるんだということを知り、耳が痛いのを我慢して新しい考えや見方を取り入れるのが誰も傷つけないし、やり切れば自分も楽になるぞ?と気づいたんですよね。それで苦しい時は本を読んだりして③の見方を変える練習をしたりすることも多くなったりしました。

でもここにきてびっくり、4つ目があったんですよね。

自分をなだめる=自分の心の声を感じたままに受け入れる

今回読んだ本はフィリッパ・ペリーさんの『自分の親に読んで欲しかった本』という本です。主には子育てに際した親としての振る舞いや考え方、心構えといった内容が書いてあり、その中でも私は第3章の「感情に向きあう」の章の内容が1番響きました。

親の問題だけではなく、子供の心にもつながることだった

驚いたのが、自分自身の心を受け入れられると子供に穏やかに接することが出来ますよーみたいな単純な話ではなくて、親がそうすることで子供が自分をなだめられるようになるという話だったんですよね。

これまた衝撃ですよ。え、じゃあ頑張らないと!みたいな笑。

親は子どもが必要とするときにしっかりと感情を受け止めていれば、子どもは少しずつ感情を自分でなだめる方法を学び、やがては自力でできるようになっていく。そのためにはまず親自身が、自分のどんな感情にも居心地の悪さを感じずにいられることが重要、とのこと。

少し引っかかったのが「自分の感情の居心地の悪さ」のところで。基本的にはちょっと口が悪いと言われるほどに自分の感情を口に出してしまうかあちゃんなので、自分の感情はいつも吐き出してるし溜め込んでないと思うけど、居心地が悪いってどういうこと?って感じで最初はピンときませんでした。

居心地の悪い感情に直面した出来事

そんな時ちょうど夫婦喧嘩をしまして。その翌日に、議論を尽くして気持ちはお互い出し切ったのに、心の中は焼け野原みたいに荒れているみたいなことがありました。これはまだ自分の声を聞いてあげた方がいいのかもと思って自分の気持ちを紙に書き出してみたのです。そしたら――「あ、これは言ってはいけないかもしれない」「あ、これはそんなはずない」と、書き出すのを躊躇いそうになる思いが確かにありました。相手にはもちろん伝えない、そして自分にもショックで伝えない言葉があったことを知りました。最初は「こんなこと思ってしまったんだ」って残念に感じたけれど、同時に少し心の奥と細い道が開通したような感覚もありました。

自分の心に弱さやセコさがあることに否定的にならない

私のケースで言うと、自分が強く出れるケースでは何でも吐き出してきたけれど、もしかしたら自分が残念に思いたくないことに蓋をしがちなのかもしれないと思いました。これ以上この思いに向き合ったらこの人を好きでいる努力を頑張ってきたのに壊れてしまう、とか、自分がビビってることを認めたくない、とか。

こういう感情を残念とは思わず、まあそうも思っちゃうよねーぐらいで良いとも悪いとも判断せず、蓋をせずに心にいさせてあげること。それが、私でいう自分をなだめるということなのかなと思いました。

以下本文から引用しますが、幸せとは心をまるごと受け入れる、そして相手にも受け入れられている状態のことだと気付かされました。簡単なことではないですが、子供と幸せになるために自分の居心地の悪い感情をしっかり見つめようと思います。

叱りつけたり気を逸らしたしして無理やり幸せにすることができません。子供がどんな経験をしようとそれをどう感じようとあなたが子供を愛して受け入れれば子供は幸せになる能力を身につけます。これは子供だけでなく、あなた自身についても同じです。幸せになるためには親も自分で自分の全ての気分を受け入れる必要があるのです。

リフレーミングにも限界がある

感情をそのまま出す力の重要性

かあちゃんは昔から、すぐに解決策が思いつかないときや、自分の力ではどうにもならない状況に直面したとき、「まあ死にはしない!」「後でネタになる!」と自分に言い聞かせて、ちょっと我慢して勢いで突っ込む、そんなふうに乗り越えてきたところがありました。先ほども述べたように大人になってからは見方を変えて状況を捉え直す練習をしたりもしました。

これらのある意味で自分の感情は置き去りにした方法は、時に素直さや一度やってみる勇気をくれたり、社会の中でやっていくためには必要なエンジンだったりもすると思うのですが、人間の心の持つ本来の動きには反しているんですよね。

地震について楽しそうな絵を描いた子供達の話

同じくフィリッパ・ペリーさんの本にこんな実験の話が紹介されていました。大地震を経験した子どもたちに「地震をどう感じたか」を絵で表現してもらったところ、楽しそうな絵を描いた子どもたちは、不安や火事、災難を描いた子どもたちよりも呼吸器系の病気が長く続いたそうです。

災害をどう感じたかの自分の気持ちをあるがままに表現できる子供達の方が、心の中に恐怖や不安に対処する免疫を持っていて自らを守ったということなんです。

人間は昔から自分の内面を表現することで恐怖を支配してきたんですよね。それが私たちに備わった自然な力だということ。大人になるにつれて「気合いで押し切る」ことや「考え方をリフレーミングする」知識は学んできたけれど、まずは自分の気持ちをあるがままに聞き取り、なだめることこそが、人間が立ち直るための基本なのだなと学びました

徐々に自分の見たくない感情を素直にみれてきた気がする

かあちゃんはこうやってブログを書いてああでもないこうでもないと考えを巡らせているように、本当に自分のことがいつもよくわかりません。本当は何がしたいのかいつもわからず迷ってばかりなのですが、この本を読んでから自分がどうして自分の気持ちに鈍感なのか少しわかったような気がしました。

結局自分にとって都合が悪い感情を見ないふりをしてきたんですよね。だから自分の心とつながりが持てず、コントロールが効かなくなる瞬間があったのだと気づきました。

それ以来、心にモヤモヤが生まれたときには、飴玉を舐めるみたいにその事象をじっくりと反芻し、そこから出てくる苦い声も「これが今の自分の気持ちなんだ」と受け止めるようにしています。

もちろん日常生活の中ですべての感情をいちいち拾っている時間はないのでえいや!で切り抜ける方法とバランスを取りながらですが、しんどいときほど「しんどい」という声に向き合ったほうが、自分にとって救いになっているように感じます。

そして何より、自分がそうやって自分を受け止められるようになってこそ、子どもの感情も受け止められる親になれるのだろうし、かあちゃんが努力した先に、子ども自身も自分の気持ちを大切にできる未来があってほしいと思っています。

お読みいただきありがとうございました!

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